西暦741年、聖武天皇の勅命で各国に国分寺、国分尼寺が造られることになりました。續日本紀の記録では、756年に紀伊国分寺の名が出ています。
現公園の地図ですが、南門、中門、金堂、講堂、僧坊の各基壇が奥へ並んで発掘され、保存されています。なかなか立派な寺院だったようです。
9世紀に火事で炎上したけれど、復興されたそうです。しかし、中世にかけて、次第に衰え1585年の秀吉紀州攻めで完全に破壊されたといいます。現在残るこの本堂は元禄時代に講堂跡に建てられたもので、紀ノ川市の指定文化財になっています。
次の写真は中門入って右側の七重の塔の基壇です。この塔は最初の火事の後、復興されていないそうです。高さは50〜70mあったといわれ、高いビルの無い時代、紀ノ川河谷の河口からかなり上流まで、この塔を遠望できたのではないか、と思われます。
基壇の周りを囲む塼は、実際に発掘されています。復元の時、同様の塼を焼いて、使ったそうです。
手前は構内の池です。遺跡の南側にこの資料館があります。又、基壇群の北側はかなり広い広場です。遊具など何もありませんが、のんびりピクニックしてお弁当食べて、ボールで遊ぶにはぴったりの公園です。もちろん、歴史オタクの私には感激の場所でした。