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spot spot 刺田比古神社

和歌山城南東の岡口門を出て、三年坂通りを南へ渡ると、「刺田比古神社」という大きな石碑が立っています。そのまま真っ直ぐ進み、突き当たりを右折するとすぐこの神社が見えてきます。土地の人は岡の宮さんとも呼んでいます。

御祭神は大伴家持の先祖、道臣命と大伴狭手彦命です。大伴氏の始祖は、神話では天皇家と共に天降りしたと言われています。ともかく天皇家に古くから仕えた一族なのでしょう。道臣も神武東征神話に登場し、道を開いて天皇の大和入りに貢献したので、この名で呼ばれるのだといいます。狭手彦さんは日本書紀に登場しており、お父さんは継体天皇即位に貢献した大伴金村です。

狭手彦さんは、西暦537年、勅命で新羅へ。又、562年、大将軍として高麗出兵、その功により、この土地、岡の里を賜ったとあります。実は「万葉集」にもこの方が登場します。第1回の出征の時、彼は準備のため、九州松浦湾(唐津市厳木町)に滞在します。その時、土地の豪族の娘、佐用姫と恋仲になります。ついに船出の日が来て、姫は鏡山の頂から、出てゆく船を見送り、領巾(スカーフ)を振ります。それ以降、この山は領巾振山と呼ばれるようになります。姫は別離に堪えきれず船を追ってゆき、加部島で七日七晩泣き続けて石になってしまった、と言われています。

鳥居を少し入ると、右手にこのお馬さんが鎮座しています。これは古代ではなく、江戸時代、後の八代将軍吉宗が生まれた時、丈夫に育つようにと一旦捨てて拾うという儀式をしました。拾い親はこの岡の宮の宮司さんです。それ以来吉宗公のご信仰篤く、将軍になって江戸へゆく時には、ご自身の愛馬を神社に奉納されたということです。神社ではご神馬として大切にし、死後は木像を作りこうしてお祀りしています。

西側の岡には何基かの古墳があるようで、だいたい6世紀のものといわれる副葬品も出ています。このようにいろいろな歴史と物語を秘めて、今この社は木々に囲まれて鎮まっています。