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了法寺の涅槃会

スポット情報

和歌山市坂田にある了法寺の涅槃会を覗いてきました。

 紀州東照宮を管理していた和歌山(わかさん)天曜寺雲蓋院の外六坊の一つで、紀州徳川家家老の三浦家の墓があるという程度の知識しかなく、訪れる機会がなかったのですが、今回行ってみて、大変興味深いところだと初めてわかりました。

 お釈迦様が亡くなったのが2月15日ということですので、新暦なので約1ヶ月ずらして3月15日に涅槃会ということになるようです。

 山門前だけでなく、門内もマルシェと名打って、たくさんの露店が並んでいます。で、年1日だけ公開されるのは、釈迦堂内の釈迦涅槃群像。釈迦涅槃の絵は目にすることがありますが、ここのは、それを立体表現していているところです。

 中心の釈迦涅槃像は北枕で西向き、まわりの人(菩薩?弟子?)たちが嘆き悲しむ様子がけっこうリアルです。後の4体と足許に近づく1体は、よく調べれば、誰を表しているか、特定できそうです。動物たちも悲しんでいるようすに表現されています。生母摩耶夫人が右側上方から投げた薬の袋が枯れた沙羅双樹に引っかかっているのも、表現されています。いわゆる『投薬』という言葉の由来だそうです。沙羅双樹は3本です。8本が一般的だそうです。満月はどこかな?とさがしたのですが、天井には龍が描かれ、雲もたくさん描かれているため、雨ということなのかな?一番目立つのは、周囲の千体におよぶ仏像です。950以上は確実にあります(おおよそ数えました!)。よくある涅槃図では、このような表現はないようです。建物に比べて新しそうなので、後に付け加えられたのかもしれません。

 次回の涅槃会までに、調べておくことが多そうです。

 さて、ここが、雲蓋院の外六坊であるということは天台宗のお寺ということなのですが、於万の方が熱心な日蓮宗の信者だったのは有名ですが、父、正木頼忠も兄、三浦為春も同様だったようで、三浦家の菩提寺たる了法寺も当初は日蓮宗だったそうです。1622年、没した正木頼忠の法号『了法院日正』にちなみ、三浦為春によって日正山了法寺が建立されました(1623年)。1650年に名草郡坂田村に移転、1652年に三浦為春も没し、1666年、三浦為時の時、天台宗への改宗を決めたようです。その改宗の歴史がわかるのが、これ!

 写真の順番で、北から、宝篋印塔、三浦為春夫人(光耀院)の墓、三浦為春の父(正木頼忠)と母(智光院)の供養塔(墓?)、三浦為春の墓が並んでいます。その巨大さは、写真の花立てからわかるでしょうか?そのすべてに大きく『妙法蓮華経』と刻まれています。この4基は、釈迦堂ともう一つのお堂(名前不明)に、隠れてしまっていますが、これも、天台宗への改宗が理由だそうです。

 本堂裏の三浦家墓所の二代目為時以降の墓石はデザインが変わってしまいます。これも天台宗に改宗したからなのでしょうか。

 きびしい禁教の世をくぐりぬけた三浦家の歴史が見えてきた一日でした。

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